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<title>若住職の気まま放談</title>
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<description>気ままに語ります、日記です。</description>
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<lastBuildDate>Thu, 09 Aug 2007 23:13:13 +0900</lastBuildDate>
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<title>生命</title>
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<![CDATA[ 
人にとって老化しない、死にたくないというのは、誰にでも心の片隅にある願望<br />
だと思います。しかし、実際には年を取るし、死にもします。しかし、実は命が<br />
生き残って行くために作った生命のシステムに他ならないのです。道具を使い<br />
続けていればそのうち悪くなるように、体も使い続ければ骨がすり減ったり、足<br />
腰が痛んだりします。また、いろいろな要因で体の様々な所も悪くなります。生<br />
命は永遠に命を、その体ひとつで維持していくことが不可能であることを知って<br />
います。したがって、生命は次のような方法をとりました。それは｢同じものを作<br />
って命を分ける｣というものです。具体的にいえば人は子どもをつくることであ<br />
り、樹木でば実をつくり子孫をつくるということです。<br />
<br />
こうやって言うと、よく｢年寄りは早く死んで、若い者のジャマをするな、というこ<br />
とか！｣と年配の方が気分を悪くし、怒りますが、そうではありません。先ほど<br />
言ったように｢同じものを作って命を分ける｣すなわち｢命を分ける｣ということは、<br />
自分の両親や祖父母、そのずっと先の先祖から、子ども、孫、曾孫の後の永<br />
劫の子孫まですべてが、実は自分自身ということなのです。こうしてしっかりと<br />
考えれば、同じ自分同士(ちょっと変な言い方ですね)大切にしあい、少しでも<br />
長く一緒に居たいと思うのが当然であります。現代では｢親、子どもが自分自<br />
身？｣と、不思議な感覚を覚えるかもしれませんがしかし、こういう考え方は日<br />
本人には古くから、実はなじみ深い考えなのです。<br />
<br />
伊勢神宮に二十年に一回、ご遷宮というものがあります。これは｢全ての社殿<br />
と鳥居を建て替え、神宝なども造り替え神体を遷す｣ということが繰り返し行わ<br />
れており、このことは、まさに生命の営みを古来の日本人が理解し、真似てい<br />
たことに他ならないのです。<br />
しかし現代、自分という認識が狭くなり、親は自分には関係ない。子どものため<br />
に自分の生活を変えたくないなど、いろんなことを言う人が増えてきています<br />
が、もう一度、古来の日本人が培ったものを見直し、自分自身というものが何<br />
なのかを見つめ直す時が来ているのではないでしょうか。<br />
<br />

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<pubDate>Thu, 09 Aug 2007 23:13:13 +0900</pubDate>
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