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<title>若住職の気まま放談</title>
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<modified>2009-03-28T14:05:36Z</modified>
<tagline>気ままに語ります、日記です。</tagline>
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<copyright>Copyright (c) 2009 , kakujou</copyright>
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<title>木魚</title>
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<modified>2009-03-28T14:05:36Z</modified>
<issued>2009-03-28T22:57:51+09:00</issued>
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<summary type="text/plain">　　私たちはほとんどの法要で木魚を使います。その歴史を少し話そうと思います。　木魚は読経をするときに鳴らしたりすることで、リズムを刻んだり、また精進統一を促します。禅宗や天台宗、浄土宗などでほとんど用いられます。しかし浄土宗では木魚の使用が禁じられた時</summary>
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<name>kakujou</name>
<email>info@youkokuji.net</email> 
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<dc:subject>木魚</dc:subject>
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<![CDATA[ 
　<br />
　私たちはほとんどの法要で木魚を使います。その歴史を少し話そうと思いま<br />
す。<br />
<br />
　木魚は読経をするときに鳴らしたりすることで、リズムを刻んだり、また精進<br />
統一を促します。禅宗や天台宗、浄土宗などでほとんど用いられます。しかし<br />
浄土宗では木魚の使用が禁じられた時期もありましが、今では念仏を唱えると<br />
きに再び使われるようになりました。<br />
  <br />
　木魚の形は二匹の龍が珠を争う姿などを鈴のような形をしています。表面に<br />
は魚の鱗が彫刻されて、クスノキなどの木を材料として内部は空洞になってお<br />
り、この空洞は開口部である「響孔」にあたる部分から刃を入れ作られます。<br />
<br />
　明時代の最初の木魚 は一身一頭で、魚の頭と尾がありました。<br />
この魚が現在の木魚の龍に変化するのは、登竜門、「鯉の滝のぼり」と同じ意<br />
味だと考えられています。「鯉の滝登り」は、「龍門へと続く黄河は、それは恐ろ<br />
しい程の激流で、魚が河を登ろうとしても途中で死んでしまうが、鯉だけは河登<br />
りを達成でき、最後には龍になる」という話から「立身出世のたとえ」でありま<br />
す。この木魚に刻まれる龍も｢魚は龍と化すべし。凡は聖に入るべし｣と龍頭に<br />
なりました。<br />
　<br />
　また木魚は、それほど歴史が古くありません。約３５０年ほど前の江戸の承<br />
応の時代(１７世紀)に中国の黄檗宗の僧、隠元禅師によってもたらされ、以後<br />
禅宗各派をはじめ各宗にひろがりました。しかし木魚は最初からすんなりと受<br />
け入れられたわけではありません。その当時、木魚を読経に使うことに反対す<br />
るお坊さんが少なからずいました。<br />
<br />
　その理由は、お経とは本来、読みながらその意味を深く考えるということが大<br />
切です。しかしお経の文節に関係なく木魚を使って読むということは、お経を読<br />
む意味が無くなってしまう、ということからです。<br />
　<br />
　また、しばらくしてから浄土宗では、念仏に木魚を用いましたが、この時は<br />
「木魚による称名念仏は宗義に反する」と禁止命令が出されてしまいました。<br />
　<br />
　しかし今はこうして使い続けられています。なぜでしょう？<br />
それは木魚に関する形や由来が、仏教を理解する手助けとなり、木魚のやわ<br />
らかな音を聞くことによって人々に心の安らぎを与える。といったことから、浄<br />
土宗も各寺院や人々の思いを受け入れて再び使われているのです。<br />
<br />
　我が宗では、木魚を打つときに｢間打ち｣という打ち方をします。これは木魚が<br />
伝わってきた当初からいわれ続けてきた、｢本来のお経の意味が失われる｣と<br />
いうことに対して浄土宗としての答えです。間打ちにすることによって｢お経を切<br />
らない｣また、頭打ちのように発音と同時に打たないということは｢お経が主体で<br />
あり、意味を潰さずに唱える｣という主張であります。この間打ちの成立は、お<br />
経に対しての配慮を一つの形として表したものです。<br />

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