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初めまして、然阿といいます。
仏教について知らないことが沢山あり、まだまだ勉強中の身ですが、「仏教を現代人の感覚で」を目標にお話ができればと思います。
仏教について知らないことが沢山あり、まだまだ勉強中の身ですが、「仏教を現代人の感覚で」を目標にお話ができればと思います。
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2006/06/24 :: 悩む心
悩む心、これは誰もが持っています。これをよくよく分析すると、ほとんどは将
来に対しての悩みに帰着します。
たとえば、
・ 今ある生活を向上させたい、そのためにはもっとお金持ちになりたい。
・ 自分の美しさに磨きをかけたい、いつまでも美しくいたい、年をとりたくない。
・ いつまでも人生を楽しみたい、病気をせずに健康で長生きをしたい。
・ もっと色々な経験をしたい、自分の能力を高めたい。
これらの事は、今以上にと、すなわち自分の未来に対しての自分自身の要求
です。他の動物には自分の将来に対して、そのような要求はありません。これ
は人特有のものです。
また、この未来に対してはあらゆる事が考えられることができ、人々はこれを
「可能性」と呼んでいます。この可能性と言われるものは、実は答えがありせ
ん。ですから誰が何を言おうが、完全な否定ができません。これが重要なこと
です。
悩む心、これは誰もが持っています。これをよくよく分析すると、ほとんどは将
来に対しての悩みに帰着します。
たとえば、
・ 今ある生活を向上させたい、そのためにはもっとお金持ちになりたい。
・ 自分の美しさに磨きをかけたい、いつまでも美しくいたい、年をとりたくない。
・ いつまでも人生を楽しみたい、病気をせずに健康で長生きをしたい。
・ もっと色々な経験をしたい、自分の能力を高めたい。
これらの事は、今以上にと、すなわち自分の未来に対しての自分自身の要求
です。他の動物には自分の将来に対して、そのような要求はありません。これ
は人特有のものです。
また、この未来に対してはあらゆる事が考えられることができ、人々はこれを
「可能性」と呼んでいます。この可能性と言われるものは、実は答えがありせ
ん。ですから誰が何を言おうが、完全な否定ができません。これが重要なこと
です。
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2007/08/09
生命
[自分とは]
人にとって老化しない、死にたくないというのは、誰にでも心の片隅にある願望
だと思います。しかし、実際には年を取るし、死にもします。しかし、実は命が
生き残って行くために作った生命のシステムに他ならないのです。道具を使い
続けていればそのうち悪くなるように、体も使い続ければ骨がすり減ったり、足
腰が痛んだりします。また、いろいろな要因で体の様々な所も悪くなります。生
命は永遠に命を、その体ひとつで維持していくことが不可能であることを知って
います。したがって、生命は次のような方法をとりました。それは「同じものを作
って命を分ける」というものです。具体的にいえば人は子どもをつくることであ
り、樹木でば実をつくり子孫をつくるということです。
こうやって言うと、よく「年寄りは早く死んで、若い者のジャマをするな、というこ
とか!」と年配の方が気分を悪くし、怒りますが、そうではありません。先ほど
言ったように「同じものを作って命を分ける」すなわち「命を分ける」ということは、
自分の両親や祖父母、そのずっと先の先祖から、子ども、孫、曾孫の後の永
劫の子孫まですべてが、実は自分自身ということなのです。こうしてしっかりと
考えれば、同じ自分同士(ちょっと変な言い方ですね)大切にしあい、少しでも
長く一緒に居たいと思うのが当然であります。現代では「親、子どもが自分自
身?」と、不思議な感覚を覚えるかもしれませんがしかし、こういう考え方は日
本人には古くから、実はなじみ深い考えなのです。
伊勢神宮に二十年に一回、ご遷宮というものがあります。これは「全ての社殿
と鳥居を建て替え、神宝なども造り替え神体を遷す」ということが繰り返し行わ
れており、このことは、まさに生命の営みを古来の日本人が理解し、真似てい
たことに他ならないのです。
しかし現代、自分という認識が狭くなり、親は自分には関係ない。子どものため
に自分の生活を変えたくないなど、いろんなことを言う人が増えてきています
が、もう一度、古来の日本人が培ったものを見直し、自分自身というものが何
なのかを見つめ直す時が来ているのではないでしょうか。
だと思います。しかし、実際には年を取るし、死にもします。しかし、実は命が
生き残って行くために作った生命のシステムに他ならないのです。道具を使い
続けていればそのうち悪くなるように、体も使い続ければ骨がすり減ったり、足
腰が痛んだりします。また、いろいろな要因で体の様々な所も悪くなります。生
命は永遠に命を、その体ひとつで維持していくことが不可能であることを知って
います。したがって、生命は次のような方法をとりました。それは「同じものを作
って命を分ける」というものです。具体的にいえば人は子どもをつくることであ
り、樹木でば実をつくり子孫をつくるということです。
こうやって言うと、よく「年寄りは早く死んで、若い者のジャマをするな、というこ
とか!」と年配の方が気分を悪くし、怒りますが、そうではありません。先ほど
言ったように「同じものを作って命を分ける」すなわち「命を分ける」ということは、
自分の両親や祖父母、そのずっと先の先祖から、子ども、孫、曾孫の後の永
劫の子孫まですべてが、実は自分自身ということなのです。こうしてしっかりと
考えれば、同じ自分同士(ちょっと変な言い方ですね)大切にしあい、少しでも
長く一緒に居たいと思うのが当然であります。現代では「親、子どもが自分自
身?」と、不思議な感覚を覚えるかもしれませんがしかし、こういう考え方は日
本人には古くから、実はなじみ深い考えなのです。
伊勢神宮に二十年に一回、ご遷宮というものがあります。これは「全ての社殿
と鳥居を建て替え、神宝なども造り替え神体を遷す」ということが繰り返し行わ
れており、このことは、まさに生命の営みを古来の日本人が理解し、真似てい
たことに他ならないのです。
しかし現代、自分という認識が狭くなり、親は自分には関係ない。子どものため
に自分の生活を変えたくないなど、いろんなことを言う人が増えてきています
が、もう一度、古来の日本人が培ったものを見直し、自分自身というものが何
なのかを見つめ直す時が来ているのではないでしょうか。
posted at 2007/08/09 23:13:13
lastupdate at 2007/08/09 23:13:13
【修正】