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初めまして、然阿といいます。
仏教について知らないことが沢山あり、まだまだ勉強中の身ですが、「仏教を現代人の感覚で」を目標にお話ができればと思います。
仏教について知らないことが沢山あり、まだまだ勉強中の身ですが、「仏教を現代人の感覚で」を目標にお話ができればと思います。
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2006/06/24 :: 悩む心
悩む心、これは誰もが持っています。これをよくよく分析すると、ほとんどは将
来に対しての悩みに帰着します。
たとえば、
・ 今ある生活を向上させたい、そのためにはもっとお金持ちになりたい。
・ 自分の美しさに磨きをかけたい、いつまでも美しくいたい、年をとりたくない。
・ いつまでも人生を楽しみたい、病気をせずに健康で長生きをしたい。
・ もっと色々な経験をしたい、自分の能力を高めたい。
これらの事は、今以上にと、すなわち自分の未来に対しての自分自身の要求
です。他の動物には自分の将来に対して、そのような要求はありません。これ
は人特有のものです。
また、この未来に対してはあらゆる事が考えられることができ、人々はこれを
「可能性」と呼んでいます。この可能性と言われるものは、実は答えがありせ
ん。ですから誰が何を言おうが、完全な否定ができません。これが重要なこと
です。
悩む心、これは誰もが持っています。これをよくよく分析すると、ほとんどは将
来に対しての悩みに帰着します。
たとえば、
・ 今ある生活を向上させたい、そのためにはもっとお金持ちになりたい。
・ 自分の美しさに磨きをかけたい、いつまでも美しくいたい、年をとりたくない。
・ いつまでも人生を楽しみたい、病気をせずに健康で長生きをしたい。
・ もっと色々な経験をしたい、自分の能力を高めたい。
これらの事は、今以上にと、すなわち自分の未来に対しての自分自身の要求
です。他の動物には自分の将来に対して、そのような要求はありません。これ
は人特有のものです。
また、この未来に対してはあらゆる事が考えられることができ、人々はこれを
「可能性」と呼んでいます。この可能性と言われるものは、実は答えがありせ
ん。ですから誰が何を言おうが、完全な否定ができません。これが重要なこと
です。
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2010/01/16
阿修羅
[阿修羅]
最近、捕鯨反対派の過激組織「シー・シェパード」が話題となっています。
その「シー・シェパード」を見るたびにどうしても私は、怒り駆られた闘いの神、
阿修羅とダブって見えてしまいます。阿修羅はもともと善神でしたが、理不尽
にも自分の娘が、帝釈天に拉致されてしまいました。その事に怒りに燃えた阿
修羅は娘を取り戻すため帝釈天に闘いを挑みますが。しかし、帝釈天にどうし
ても勝つことができませんでした。そして娘を取り返すために,何度も何度も闘
いを挑み、長い間、闘いに明け暮れました。そうしているうちに、しだいに我を忘
れ、闘いに勝つ事だけに心を囚われ、激しい怒りの感情だけに支配され闘いに
明け暮れるようになりました。それが修羅道といわれるものです。
私が阿修羅と「シー・シェパード」がダブって見えるのは、捕鯨反対派の気持
ちは分からなくも無いからです。僧侶としたら鯨の命を大切にする彼らを応援
しなければならない立場かもしれません。しかし、私は他の魚や牛、豚などは
良くて鯨の命だけ大切にという事には疑問を感じます。また最近「シー・シェパ
ード」は過激さを増していってます。これはの世論を味方に付けるためのアピ
ールと思われますが、その過激さがかえって世間に疎まれる原因になっていく
ような気がします。それは、ちょうど阿修羅が善神から悪神になって疎まれるよ
うに。
そして、私が対として思い当たるのは「たゆまぬ対話と努力」をし続けている
北朝鮮の拉致被害者家族の方々です。どんな状況でも心を折らず、活動して
いる姿は「怒りで心が煮えたぎっても修羅にはならない。」そんな毅然としたも
のを感じます。
興福寺の国宝の阿修羅像は天平の美少年として人気があります。その阿修
羅像は、仏に諭され心を改めた時の「自分は、何一つ間違った事をした覚えが
無いのに、どうして、狂気の悪神となってしまったのだろう。」という表情をとらえ
たものです。その憂いを含んだ表情は昔から日本人の心をとらえ、今でも戒め
となって心の底で息づいている。拉致被害者家族の方々の姿を見るとそう感じ
ずにはいられません。
参考資料
『from 911/USAレポート』 第440回 「クールジャパンの悲劇と再生」
冷泉彰彦 :作家
http://ryumurakami.jmm.co.jp/dynamic/report/report3_1875.html
その「シー・シェパード」を見るたびにどうしても私は、怒り駆られた闘いの神、
阿修羅とダブって見えてしまいます。阿修羅はもともと善神でしたが、理不尽
にも自分の娘が、帝釈天に拉致されてしまいました。その事に怒りに燃えた阿
修羅は娘を取り戻すため帝釈天に闘いを挑みますが。しかし、帝釈天にどうし
ても勝つことができませんでした。そして娘を取り返すために,何度も何度も闘
いを挑み、長い間、闘いに明け暮れました。そうしているうちに、しだいに我を忘
れ、闘いに勝つ事だけに心を囚われ、激しい怒りの感情だけに支配され闘いに
明け暮れるようになりました。それが修羅道といわれるものです。
私が阿修羅と「シー・シェパード」がダブって見えるのは、捕鯨反対派の気持
ちは分からなくも無いからです。僧侶としたら鯨の命を大切にする彼らを応援
しなければならない立場かもしれません。しかし、私は他の魚や牛、豚などは
良くて鯨の命だけ大切にという事には疑問を感じます。また最近「シー・シェパ
ード」は過激さを増していってます。これはの世論を味方に付けるためのアピ
ールと思われますが、その過激さがかえって世間に疎まれる原因になっていく
ような気がします。それは、ちょうど阿修羅が善神から悪神になって疎まれるよ
うに。
そして、私が対として思い当たるのは「たゆまぬ対話と努力」をし続けている
北朝鮮の拉致被害者家族の方々です。どんな状況でも心を折らず、活動して
いる姿は「怒りで心が煮えたぎっても修羅にはならない。」そんな毅然としたも
のを感じます。
興福寺の国宝の阿修羅像は天平の美少年として人気があります。その阿修
羅像は、仏に諭され心を改めた時の「自分は、何一つ間違った事をした覚えが
無いのに、どうして、狂気の悪神となってしまったのだろう。」という表情をとらえ
たものです。その憂いを含んだ表情は昔から日本人の心をとらえ、今でも戒め
となって心の底で息づいている。拉致被害者家族の方々の姿を見るとそう感じ
ずにはいられません。
参考資料
『from 911/USAレポート』 第440回 「クールジャパンの悲劇と再生」
冷泉彰彦 :作家
http://ryumurakami.jmm.co.jp/dynamic/report/report3_1875.html
posted at 2010/01/16 10:20:11
lastupdate at 2010/01/16 10:22:11
【修正】