松平信綱 (松平伊豆守)寺津生まれの幕閣

松平信綱は慶長元年(1596)年に、寺津城主 大河内久綱の子として生まれ、その後、慶長6年 叔父松平正綱の養子となり、以後、松平を名乗る。

慶長9年、家光誕生と同時に小姓に召し出され、元和9年(1623)年、家光が将軍になると、幕府の小姓組番頭に任ぜられ、以後伊豆守を称す。
寛永4年には一万石を拝領し、幕閣に参与する。

寛永12年幕府の老中に就任。 また寛永14年島原の乱が起きると、総大将として活躍、翌15年に乱を平定、信綱はこの功によって武蔵川城主となり、6万石(後に7万五千石)を賜る。

この他にも武家諸法度の改訂、鎖国の完成など多様な政策を実施し、幕藩体制の確立に大きく貢献する。

家光死去後も家綱を助け、慶安承應事件を処理し、明暦の大火後の復興にもあたる。